うみねこのく頃に・考察とメモ(4)

日記として書くと、続き書いたり書き足したりする時に不便なんで、うみねこメモを別に作る事にした。

うみねこ入り口

Fri 2008/02/15

で、日記の方にちらっと書いた私グッドアイディアを今から書く。

これは、ルールXとかの類のやつで、私はこれが、「鍵」が示唆した対象なんじゃないかと考えてる。

で、そいつやねんけども、名付けて「心の牢獄」。

魔利亞を追えをやってて、楼座の状況のしんどさみたいのを考えてたら、そこから、「母親であるならば慈愛を示すべき」みたいなプレッシャーに思い至った訳やけども、これは、タマタマ楼座の場合ではそれであった、と考えてみたら、かなりの数の登場人物が「心の牢獄」に囚われてるよなー、と思ってさ。

今回、「大人ならではの事情」みたいのがひぐらしよりもクローズアップされてるよなぁ、と感じてた訳やけども、「心の牢獄」って、大人の方が(たぶん)子供よりも「こじらせてる」と言うか、「こじらせ易い」のかもしれないよな、とか思ってさ。

ベタな言葉やけども、ACて、子供はならないでしょ。そんな感じ。

例えば、絵羽だったら、蔵臼に対抗することだけを考えて来たのかもしれない、みたいな言葉があったし、夏妃だったら、右代宮家の嫁として毅然と振舞わねばならない、と言う部分がものすごい。紗音ならば、譲治には、私じゃ不釣合いだと言う思い込みが強かったからこそ、魔法と言う手段を選んだとも考えられるし、嘉音の、家具だから、という時の年齢と不釣合いな諦めなんかを考えると、これらって、全部、自分で自分を心の牢獄に閉じ込めてるみたいに思える。

又、牢獄って言葉は、金蔵が自分を書斎に「閉じ込めた」と言う具体的な行為に象徴的に表れているようにも思える。

心の牢獄の鍵を開き、囚われていた「何か」を「殺す」事によって、救済がある、て事なのかも。

まぁ、まだ2話だけだし、新たな登場人物とか、知られざるエピソードとかが出て来る可能性も大きいから、メタルールについて考えるのは、ちょっと早過ぎるのかもしれないけども(だいたい、これだと最初の6人の説明もつかないし、そもそもこれだと、後の杭で打たれたメンバーはなんとかなっても、最初の6人は救いようが無いみたいに思える)、それなりに、ありそうなスジなんじゃないかと思う。

Sat 2008/09/20

で、久しぶりの考察メモはもうあれから半年。

既にep3までプレイしてて、だけども、こっちでの進行具合は、まだ真里亞を追え初日で、中々。

が、とりあえず、幾つかのメタ・ルールを思いついたんで、それについて書いておく。

うみねこに関するルールXYZ

ルール1:(オカルト趣味ではあるけれど)真里亞は嘘を言わない
利用法としては、真里亞の「解釈」を一旦は切り離して、語られた事実の部分を採用する
重要なのは、思い込み回避
ルール2:六軒島ブラフの存在=不都合や不自然なことはベアトリーチェの仕業になる
そのままにしないで、原因を探る
それは、合理的な解釈が可能かを考える
ルール3:AC問題:大人たちは大抵トラウマを抱えていてチャンスがあったらそれを解消(?)したいと思っている
大人同士の和解を図る
子供は、もっと積極的に大人にコミットした方がよかったのではないか
たとえ相手が金蔵でも

まぁ、さし当ってはこんな感じ。だけども、これだと家具の皆さんは入らないな。ただ、自称家具って、金蔵直属の三人だけなのと、熊沢と人間ベアトリーチェとの関係何かは入らないなぁ。

おっ。もしや、そっちが「犯人側」。むーん。


で、急遽(?)連休になったんで、再び真里亞を追えの続きをやってて、又勝手にひらめいた。

昨日(てか今朝)勝手ルールXYZを想定してみたけども、これに関わる事。前述のルールは、メタルールと言うには、ちょいと「具体的過ぎた」嫌いがあるなぁと思っていたのと、ep3じゃ真里亞は早い段階で死んでしまったりもするんで、出目によっちゃ、必ずしもキーパーソンにはならないだよなぁ、とも思ってたのね。

んで、今日は、例の薔薇園での真里亞と楼座のやりとりのシーンをやってたんやけどさ、真利亞を「誰も信じていない」事と一緒に、子供が「分を弁えて」去っていくあたりが結構気に喰わなくて、そこで、あーそうだそうだ、このうみねこてば、「身分制度」が支配する世界だったんだよなーとか思ってね。

真利亞を信じるって言う事は、(ある意味)オツムの足りてないような子供の声にもちゃんと耳を傾けるって事でもあるよなーとか、親が言うのだから、と引き下がってしまったてのがそもそも間違いだったんじゃねぇの、つか結局は真利亞の言う事を真に受けなかったからこそ、そっちに傾いたりもした訳で。

そう考えてみたら、夏妃タンにしても絵羽にしても、「男尊女卑的な封建制度」の被害者だし、使用人を「家具」として扱うてのが、そもそも、人間性を無視してる。

ルールの一つには、「封建制度の縛り」があると考えた方が、よりメタルールらしい。

そして、それと闘い続けたからこそ、絵羽は生き残った、てのもあるかも。

うちらは、これらの「縛り」を解いて行く事で、この惨劇に終止符を打てるのかもしれない。

なんて感じで、新たに新ルールを(勝手)設定

新ルール上書きVer.XYZ

  1. 六軒島ブラフ
    • 合理的な「解釈」を示す事で破れる
  2. 身分の牢獄
    • 子供だから、女だから、使用人だから、と言った縛りを解いて、主体的に行動する事で破れる
    • 革命だ!
  3. 見ていないことは何とでも言える(シュレーディンガーの猫)
    • これをルールとするのは、微妙かな、とも思うけれど、入れ子状態の密室は、観測不能
    • だからこそ、出きる限り「事実」の収集に努める事で未解決部分を減らすのが重要かと

こんなとこ。やっぱ、積極的なコミットが何かと必要な気がするな。

後、ep3終了時点で、どうもこれは、パラレルな部分のある循環世界なんだと考えて差し支えないんじゃないかとも思えた。

事実としての過去は変えられないけれど、全員が生き残る未来もあるんじゃないか、と。で、なんで循環しちゃうかと言うと、誰も「成仏」してないから。

ここから先はむっちゃ推論になるけども、ベアトリーチェ(か、もしかしたら金蔵)がまず成仏してなくて、何らかの誤解を解きたかったり、謎の理由を知りたかったりしていた、と。

で、それを行える日というのが、六軒島が台風に襲われて現世との連絡を絶たれた、奇跡の二日間だった、と。

まさ、私は、金蔵は既に死んでいる説を採ってる訳やけども、このうみねこのテーマには「迷宮入りした事件の死者を弔う」みたいなテーマがあるのかもしれないなぁ、と、思うようになってさ。


Sun 2008/09/28

でだ、改めてep1の真里亞を追ってると、どんどん気になる所が増えてきて、後、当初はエピソード毎の「犯人」を考えようと思ってた訳やけども、一旦ep3まで進んでみると、ひぐらしでのルールXYZに当ったものもそれなりに気になって来て、そうなると、「世界観」みたいのを考えん訳にもいかんくて、うみねこwikiの方も、改めて見直してたりする。

いやさ、ep1終わった時点で読んだ時には、世界観に関する考察って、私にはあんまり面白いと思えなかったのよ。

なんしか、まだ手掛かりが圧倒的に足りてない状態だから、下手に自分なりの世界観なり、誰かの世界観なりを受け入れてしまうと、それに引っ張られてしまって、「見落とし」とか「思い違い」が多くなっちゃうんじゃないかと思ってて、だから、ソレ系のは、敢えてスルーって方向だった訳。

だけども、ep3まで来たし、何より、未来の結果が変化してて、且つ、未来から助っ人がやって来る(らしい)てとこまで進んだらば、もうちょい色んな事を確定してもいいんじゃないかと思えて、つか、ep3の展開が(私に)エキサイティングだったから、もう、これまでのはある程度無視しても、そっちやりたい気分が一杯だったのよ。

が、それを抑えて(ep1の)真里亞を追ってると、それはそれで、新しい見方も出来るし、とは言え、ep2の方は、結構微妙に忘れてたりもして、ああ、(無駄に)あせる。

おお、愚痴が続いてしまった。

いやね、上の方で書いたけども、「世界観」がちょっとは確定したよなーと思ってさ。

循環型パラレルワールドである、とするぶんにはOKじゃないかと思うねん。

惨劇の二日間が循環してて、その先(だけどは限らないんじゃないかと思うけど)は、パラレルになっている、と。

と、書いてみれば、ひぐらしと同じみたいだけども、メタ戦人の存在とか、荒唐無稽な魔法とかを考えたらば、夢オチじゃないけども、全ては「妄想」は、流石に言い過ぎとしても、(1)ひぐらし以上にファンタジー要素が強い可能性もあるんじゃないかと思えたし、だとしたら、「世界観」も想定外のが来てしまっても、(ある意味)しょうがないよな、と。

が、絵羽が生きてて、未来の縁寿がやって来る、て事は、既に繰り返されてる事から過去の循環はアリとして、未来はパラレルてのもOKて事だもんね。

ただね、こうなると、縁寿がやって来るのがep4て事には、どんな意味があるのかな?みたいな疑問は残るな。

ただ、縁寿がやって来る事によって「魔女の黄金の実在」が確定してしまう、てのは、かなり大きいんじゃないかと思うねんけども、果たして、やって来る縁寿は、メタ縁寿なのか、それとも、風邪をひいてないお陰で、ふつーに六軒島にやって来れた縁寿なのか、で、今後の展開はかなりかなり変わってくる訳で、予断は許されないのだった。

まさ、私個人の希望としては、メタ縁寿じゃなくて、六軒島にみんなと一緒にやって来る、子供の縁寿。

真利亞を追えをやっていて、一番苛立たしかったのは、誰も真里亞を信じていないにも関わらず、誰も真里亞を否定しないとこだった訳よ。

友達が居ない(らしい)真里亞に最も必要なのは、対等な立場からちゃんと真里亞を信じて、ちゃんとケンカも出来るような友人なんじゃないか?と思ったんだわ。

(1)ひぐらし以上にファンタジー要素が強い
流石に答は、藪の中とは思ってなかったけども、「東京」に当る組織の存在とか、聞いたこともないような奇病とか、オヤシロサマに該当する人物みたいな、かなり無理しないと想像の外側にあるようなアレコレ

Sat 2008/10/04

果たして、ep1真里亞を追えの方は、ようやっと真里亞がベアトリーチェの手紙を読み終えて、親側が金蔵の書斎に押しかけて、中で金蔵がそれをガン無視して、食事を続けている、てなシーンに至った訳やけども、この食事のシーンは、かなり曲者。

金蔵と、家具の皆さんしか居ない訳さ。

ここでこの際だからこないだひょっこり思いついた事を書いてみる。

源次以下、金蔵に片翼の鷲を許された使用人だけが、金蔵の書斎への出入りを許されてる訳やけども、この三人、特に源次てば、無駄に金蔵に「恩」を感じてるじゃないの。最後の瞬間まで「ご恩に報いる」てな表現があったし、それを受けた嘉音も、どーゆー訳か(不承不承ではあるけども)承知してる、ぽい。

如何に古いタイプとは言え、使用人と主の関係で、命かけてまで、仕えるてのは、あまりに不自然。現に、他の使用人であるところの郷田や熊沢には、そこまでの忠誠は見られないし、「肩翼の鷲」に、「優遇」てな意味があるようにも見えない――つか、むしろ他の使用人や、夏妃から嫌われる元にはなっても、金蔵の相手をするのがとても「幸せ」な事とはあまり思えない。

なんと言うか、「肩翼の鷲を許された者=金蔵の信頼を得たもの」てのは、一種のカモフラージュで、ふつーじゃ返せないような、ものすごい「借り」があるものなんじゃないのかな?と。

如何に福音の家の子供とは言え、子供の頃から働かせるのは、少なくとも、義務教育の間は、法律に反するんじゃないかと思うし、「悪い評判」もあったりした訳で、施設の運営者と、その施設の子供「以上」の関係が、金蔵と、紗音嘉音との間にあったんじゃないのかなぁ、と。当然、源次は施設の子じゃなかったけども、この二人と同じような「特別の恩」を金蔵から受けているんじゃないのかな?と。

で、こっからが飛躍ちゃ飛躍やねんけども、三人は、目が見えなかった、又は、今でも見えていないんじゃないのかな?と。

で、それを充分にカバーできるだけの能力を金蔵の力添えによって得られたか、又は、治療してもらったか、みたいの。

そうすると、見えてみるものには見えないものが見えたりとか、ある種特殊と言える能力も、多少は説明できるんじゃないのかなぁ、と。

この辺に気をつけながら、ep2では、紗音を追ってみようかな、とか思ってる。

で、そんな疑いを持ちつつ、金蔵の部屋の中の様子に戻ると、何より、家具の三人しか「目撃者」は居ない訳やし、何とでも言えてしまう場面やねんけども、この三人に関しては、本人の意思の有無がどこまで有効なのかも分らん上に、「目撃者」としての信頼度も低くなってしまうよな。

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